薩摩藩士:五代友厚は大阪に造幣局を誘致したことで知られています。
幕末以降衰退した大阪の経済を明治時代に立て直した
「大阪の育ての親であり、忘れがたい大阪の恩人」
として歴史に名前を刻んでいます。
五代は洋書に広く接し外国に遅れをとる日本の印刷術の現状(木版印刷)を憂い研究を続けました。
その苦心の結果、ついに鉛の流し込みによるわが国最初の活字の鋳造に成功し、
大阪の近代印刷はここに始まり文化の向上に大きな役割を果たしました。
その後も常に活版を忘れず、活版伝習所をつくり、1日も早くその技術を全国に普及しようと努力を続けました。
享年52歳。多くの人があまりにも早いその死に多くの人が涙し、大阪の恩人として語り継がれることになったのです。